双極性naoの「てにをは」

双極性障害のnaoが伝える、ことばの力と闘病の記録。

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灰色の世界から一歩踏み出せば、そこは限りなく美しい世界。

みずたまなおです。

こんにちは。

 

今回は、6日間抑うつ状態だったときのお話です。

どうぞ最後までお付き合いくださいませ。

 

【目 次】

 

「書きたくない」という感情

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2017年12月9日に記事を更新してから、もう6日も経った。

6日間も記事を更新しなかったことは開設以来初めてだった。

開設からの3ヶ月はほぼ毎日更新をし続け、連続投稿日数も80日を超えていた。

「記事を書く」ということは、今や私の生活の一部であり、その時間や空間は大切なもののひとつとなっている。

そのため、記事を更新しないことで生じる不安感や、生活の一部が欠けてしまうことで起こる喪失感のようなものが私を襲ってきた。

 

 

「書きたいのに書けない」というのなら、書けるようになったら思いきり書けばいい。

「書こうとしているのに書けない」というのなら、考えがまとまるまで待てばいい。

しかし、今回私が感じたブログへの思いは、「書けない」という事実に変わりないけれど「書きたくない」というものだった。

「書く気がない」とは少し違う。

ライフワークのひとつである「ブログの記事を書く」ということへの興味が、あるとき突然失われてしまった。

「興味をなくした」というよりも、ブログのことすら考えられなかったのかもしれない。

ブログという楽しみを根こそぎさらわれたようだった。

 

 

かつて「無理して記事を書いたところで、よいものは生まれない」という記事を書いたけれど、「書きたくない」という感情下においては無理をする以前の問題で、記事を完成させるどころか、一文字も書くことができないし、そもそも机の前に辿り着くこともできなかった。

一旦記事を書き始めると、無理をすればそれなりの記事が書けるのかもしれない。

けれど、スタート地点にも立てないようでは記事が書けるはずもない。

1を2にすることも難しいが、0を1にすることはさらに難しい。

 

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原因とコントロール

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記事が書けなかった最大の理由は、体調の変化によるものだった。

抑うつ状態になると、気分が落ちてしまうだけでなく、日常生活でさえもままならないことがある。

少々の落ち込みであれば、自力での修復ができるもので、これは誰にでもあることだ。

これは、数時間経てば回復する。

例えば会社で上司に叱られたとき、落ち込まない人はいないだろう。

 

 

今回の私の場合は、そのような「原因」がなく落ちてしまった。

それも、かなり深いところまで。

原因がはっきりとわかれば、ある程度の対処はできるけれど、それがない分、心構えができず、より焦る。

知らぬ間に沼の底まで引きずり込まれて、何日も灰色の世界を見ていたのだ。

起き上がろうにも起き上がれない、意を決して起き上がるけれど、何をするにも視点が定まらず、いつも上の空。

身体は起きていても、頭は働かない。

パソコンでいえば、省エネの「スリープ状態」よりも一時的に電源を切る「休止状態」に近い。

 

 

このように、原因もなく気分が落ちてしまったのは随分久しぶりだ。

そのため、いくらか気が緩んでしまっていたのかもしれないし、もしかしたら季節的なものが原因なのかもしれない。

こうして、体調を突然崩してしまうことで「自分はまだまだ働ける状態ではない」ということを認識させられる。

よい方に捉えれば、私の体調がはっきりと目に見え、把握しやすいということだろう。

 

 

6日間の前半、つまり体調が悪くなり始めたころは、ただただ虚無感しかなかった。

うつ病などで強い抑うつ状態に陥ると、「死にたい」「消えたい」という感情が湧いてくるのはよく聞く話だ。

私もこれまで「死にたい」とは思わないまでも、「消えたい」「壊されたい」という訳のわからない感情を持つことがあった。

しかし、今回はそうしたものではなく「やめたい」「失踪したい」という感情だった。

具体的に何を、というものではなく、ただ漠然と何かに疲れ、何かを「やめたい」と思い、「いなくなりたい」「失踪したい」に繋がった。

けれど、いつも支え、助けてくれる家族のことが頭をよぎり熱いものが流れた。

こうした感情を持ったのは初めてのことだ。

記事を書いている今も、油断すると何かが込み上げてきそうだ。

 

 

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無機物と有機物

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床に伏していた期間の前半は「やめたい」と思うとともに、何もする気になれず、スマホの画面を見ることさえもできなかった。

その気持ちが日を追うごとに次第に和らぎ、「外に出てみようかな」と思うようになった。

けれど、外出はできなかった。

そして、「出てみよう」が「出よう」に変わり、「出たい」と思い今日に至る

昨日より今日、今日より明日というように気持ちがはっきりと変わった。

 

 

6日間、自宅から一歩も出られない日が続くと、当然家のなかの景色しか見えない。

窓から外の景色を眺めても、額縁のなかの世界を見ているようで、どこか無機質にしか感じられない。

「出たい」と思ったからか、それとも6日ぶりだったからかはわからない。

けれど、一旦外に出てみると、目に映るもの、鼻で耳で肌で感じるもの、私を取り囲む全てのものが心地よく感じる。

少し霞んだ青い空、朝の澄んだ冬の匂い、頬にあたる冷たい風。

電柱やマンションなどの無機質なものでさえも鮮やかに映る。

一歩、灰色の世界から踏み出せば、何百もの色彩が目に飛び込んでくる。

私たちが暮らすこの世の中が、こんなにも美しいとは。

 

 

自然を感じ、人々の生活を感じる。

「社会」のなかに私はいるのだ。

朝の乾いた空気を目一杯吸い込んで、ゆっくり吐き出してみる。

いま、強く思う。

私は生きているのだ、と。

 

 

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