双極性naoの「てにをは」

双極性障害のnaoが伝える、ことばの力と闘病の記録。

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暗闇に浮かぶ、ほのかな灯りに思うこと。~初冬の無人駅にて~

みずたまなおです。

こんにちは。

 

今回は、灯りについてのお話です。

どうぞ最後までお付き合いくださいませ。

 

【目 次】

 

私の高校時代

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これは、私が高校2年生の冬のお話です。

 

私の通っていた高校は、自宅から約1時間のところにありました。

自宅から自転車で15分電車で1駅乗り換えて5駅再び自転車で15分

私は地方都市に住んでいたため、電車は大都市のように1時間に何本も来ませんでした。

そのため、時間帯によっては電車の乗り換えで30分近く待つこともあり、通学に1時間以上かかってしまうこともありました。

 

私が通う高校よりも近いところにも、たくさんの高校がありました。

しかし、さまざまな理由から、あえて自ら進んでその高校に通うことになったのです。

  

自分で選んだことではありますが、こうした生活は本当にしんどかったです。

当時は今よりもずっと若かったし、体力もありました。

もし、「明日からやれ」と言われても「いやいやいや、無理無理無理」と全力で断ることでしょう。

 

乗越しの衝撃

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こうした無茶な生活をしていると、必ずどこかでができます。

私は電車のなかで居眠りをしてしまい、本来降りる駅で降りられない「乗越し」を頻繁にしてしまっていました。

頻度は2週間に1回程度、学校からの帰りがほとんどでした。

 

学校での一日を終え、疲れた状態で電車に乗り、席に座ります。

座ったら最後、高確率で眠ります。

でもなぜか、いつも降りる駅が近づくころに起きることができました。

ところが、携帯電話でアラームを設定していても、うまくいかないときもありました。

乗越してしまうのです。

 

降りる駅のひとつ手前の駅で目を覚まし、安心しきってまぶたを閉じると気づいたときには時すでに遅し。

乗越しを経験したことがある方ならお分かりかと思いますが、気づいたときに見慣れない景色だったときのショックの大きさといったらもう…。

 

何の自慢にもなりませんが、私は一日に2回(行きと帰り)乗越したことがあります。

 

それはさておき、乗越してしまうのはだいたい1駅なのですが、ときに2駅ということもありました。

私の住む街は、大都市のように、電車の本数が多くはありません。

1駅といってもその距離は5km以上もあり、とても歩けるような距離ではありません。

仕方なく乗越し運賃を払って、電車が来るまで反対側のホームで待つことになるのですが、それはそれは心細くて。

ただでさえ不安なのに、見慣れない夜の景色がそれを増幅させていきました。

 

10駅乗越し

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高校2年生の初冬のこと。

私は学校を出て、いつものように電車に乗りました。

乾燥した冷たい空気とは対称的に、電車のなかは暖房がよく効いていて、寒さで強ばった私の顔がすぐに緩みました。

 

電車内は空いていたため、座席に座り、イヤホンで音楽を聴いていました。

暖房の心地よさから、乗車してすぐに眠りに落ちました。

一週間の疲れもピークに差し掛かる木曜日、よほど疲れていたのだと思います。

私は吸い込まれるように眠っていました。

 

ハッとして目が覚めました。

「空いている」といっても、ひと車両には10人以上はいたはずの乗客の姿はなく、そこには私ただひとりでした。

電車は動いているようだ、けれど車窓の景色は真っ暗で何も変わらない。

「ここは、一体どこだろう」と一気に不安に駆られました。

 

車内のアナウンスが次の駅名を伝えました。

その駅名を聞いても、私は全くピンと来ません。

ただ、「乗越してしまった」ということだけは理解できました。

「とにかく次の駅で降りよう」そう思い、到着した駅のホームに降り立ちました。

 

乗っていた電車が次の駅に向かって去っていくと、そこにいるのは私だけでした。

ホームには蛍光灯すらありませんでした。

「ここはいったいどこなのだろう」と思いながら、携帯電話の明かりを頼りに、ホームにある駅名板を見に行きました。

それを照らすと、駅名がわかりました。

が、その駅名板には、蹴られたような跡と、硬いもので打ち付けられたような跡がたくさんあり、もはやボコボコ

明かりに照らされたそれを見ただけで、一瞬で背筋が凍りました。

 

駅舎の方に向かうと明かりがあるのがわかりました。

駅舎には消えかかってチカチカしている蛍光灯が1本しかありませんでした。

自販機があるものの、蛍光灯は消え、どうやって入ったのか、ディスプレイの内側に大きな蛾の死骸がありました。

チカチカ照らされると余計不気味さが増します。

 

反対方向の電車が来るまで時間があったので、駅を出てみることにしました。

「待ち合いは気味が悪いから、駅の周りで時間を潰そう」そう思い、駅舎を出ると、すぐ目の前を高速で車が走っていました。

そこは片側1車線の国道の幹線道路。

左右からくる車のヘッドライト以外に明かりはありません。

ときどき、ぱったりと車が通らなくなると、そこには暗闇と静寂と私だけ

 

「仕方ないから待ち合いで待とう」と、くるりと向きを変えようと左を見ると、高さ150cmくらいの黒い物体がありました。

一瞬腰が引けましたが、よくよく見ると、丸型ポストで色は黒ではなく赤でした。

 

しばらくすると、遠くの方から電車のヘッドライトが見えてきました。

徐々にその光は大きくなるにつれ、私の不安は安心へと変わっていきました。

それはまるで、真冬の夜の帰り道に自宅の灯りが、私の帰宅を今や遅しと待ってくれているかのように。

 

その安心は、ほんのりと私に温もりを与えてくれました。

駅に到着した電車に乗り込みましたが、そのときに乗車したのは私だけでした。

 

乗車してから、車内に掲示してある路線図でその駅名を探しました。

すると、私が本来降りる駅から10駅も離れていることがわかりました

そしてまた10駅、時間にして約50分かけて目的の駅まで向かうのでした。

 

ほのかな灯りに思うこと

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いま思うと、「それだけ疲れていたんだな」としみじみ感じるのですが、「10駅って相当乗り越したんだな」と思う自分もいます。

 

ただ、よく考えてみると、その当時の私は、「進路」について悩んでいた時期でもありました。

いま、自分がどこにいるのか、そしてこれからどこへ行こうとしているのか。

漆黒の闇のなかで、「ああでもない」「こうでもない」と、いつも見えない道を探していました。

 

悩み、考えることは大事なこと。

それが、自分にとって本当に行きたい道なのかはわからない。

もしかしたら違うかもしれない。

けれど、悩み考えることに意味がある。

それが大きな力になる。

 

遠くからほのかに灯りが見える。

自分が選んだ道に、間違いはない。

 

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ある無人駅で、ひとりのおばあちゃんに大切なことを気づかせてもらったときのお話です。

www.nao-mizutama.com

 

 

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