双極性naoの「てにをは」

双極性障害のnaoが伝える、ことばの力と闘病の記録。

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よいことも悪いことも全て、きっとこれからの糧になる。

みずたまなおです。

こんにちは。

 

今回は、2017年についてのお話です。

どうぞ最後までお付き合いくださいませ。

 

【目 次】

 

大好きなあるブログから

 

最大限の「言葉の力」

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他の方が書く記事に影響されることが、私にはよくある。

「自分」というものがなく、ただ流されているだけなのか、それとも先入観を持たず「無」の状態で読んでいるからなのかはわからない。

ただ、間違いなく言えることは、自身にはないものの見方や新たな発見、気づきや学びがあるということだ。

 

 

いつも楽しみにしているブログはいくつもある。

なかでも、小さな大学生さんのブログは私が最も好きなブログのひとつだ。

羽衣のような透明感のある表現と、忘れかけていた純粋な気持ち、行間からも息づかいが聴こえてくるような柔らかで表情のある文体が、いつも私をやさしく包んでくれる。

そして、記事を読み終わったとき、心に潤いと優しい気持ちを与えてくれている。

 

 

文字数は決して多くはないが、ひとつひとつの言葉を大切にし、それらに最大限の力が宿っている。

少ない言葉で、相手の胸の奥にするりと入り込んでしまうのだ。

折に触れて「言葉の力」に言及している私にとって、これは理想であり、憧れでもある。

そして、とても尊敬している。

「生きた記事」「生きたブログ」とはこのことなのだろう。

 

 

投稿された記事のなかに、これまで以上に私の懐に入り込んできたものがある。

読んでいる途中から胸の奥が締め付けられるような感情と、熱い思いが込み上げてきたのだ。

そして、「いま、この瞬間、この熱い気持ちをどうにかして表現したい」「書きたい」「書かずにはいられない」という気持ちに駆られて今に至る。

 

おくりもの

この記事のなかで小さな大学生さんは、2018年の自分に宛てて手紙を書いている。

「気が早い」と思うかもしれないが、これにはきちんと意味がある

 

atamatokokoro.hatenablog.com

 

小さな大学生さんの独特のテンポや間が損なわれるため少々はばかられるが、要約すると次のようになる。

もし解釈やニュアンスに相違があれば教えてください。

 

2017年という一年を、まずは何も見ずに思い出してみる。

次に、手帳を見ながら思い出してみる。

あのとき何を考えていたのか、何を悩んでいたのか。

それを思いながら、2018年の自分に宛てて手紙を書く

「2018年はこんな自分になっていてほしいか」という願いも込めた手紙と手帳、いまの気持ちも同封してみる。

 

真っ白なキャンバスにどんな絵が描けるのか、毎日点を描いてその年の作品を作ろう。

今年はどんな絵が描けたのか、12月に何を付け加えるのか

 

どんなおくりものがいいのかを考えることは、きっと楽しい。

 

2017年という「絵」

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私のこの1年を振り返ってみる。

まずは何も見ずに、目を瞑って思い出してみる。

 

 

すると、残念ながらよくないことばかりが思い浮かんでしまう。

よいことも間違いなくあったはずなのに、なぜか思い出されるのはよくないことばかりだ。

 

 

数えきれないほどの頭の中の引き出しを、片っ端から開けてみても、いつまで経ってもよいことはひとつも見つからない。

むしろ、よくないことが引き出しを開けるたび、ぎゅうぎゅう詰めに収められたダウンジャケットが空気を含んで膨張していくように、目の前で大きくなっていく。

一度開けた引き出しを、閉めて次の引き出しを開けたいのに、なかなかうまく収まってくれない。

やっとの思いで閉めることができても、次の引き出しでもまた同じようなことが起こる。

本当に、よくないことしか浮かんでこない。

心がうるさい。

 

 

耐えかねて閉じていた瞼をゆっくり開けば、目の前は霞んでいる

霧のなか、というよりは「すりガラス」の眼鏡をかけているような感覚に近い。

 

 

もう一度目を閉じて、2017年という年を思い出してみる。

本当に悪いことしかなかったのか?

よいことのひとつやふたつもなかったのか?

そう自分に問いかけてみても、思い浮かばない。

だめだ・・・。

 

 

よいことはあった。

それは間違いない。

けれど、よくないことの衝撃があまりに強すぎて、よいことが掻き消されている

 

 

今度は、日記帳を開いてみる。

4年間、毎日書き続けている日記だ。

最初に体調を崩したときから書いていて、もともとは、日々の体調の変化を記録するために始めたものだ。

 

 

★  ★  ★

 

 

1月から順に読み返してみる。

どのページを開いてみても、書いてあるのは仕事仕事仕事。

1日14時間働けば、仕事のことしか書けないのは当然のことなのかもしれない。

そして、休みの日には20時間眠る

眠る、というか全身が痛くて起き上がれなかった

 

 

休職する直前には、エネルギーが枯渇しすぎて自宅の駐車場に停めた車から出られなくなってしまった

何とか家のなかに入っても、入浴はおろか、歯磨きも着替えもろくにできず、一日の疲れを紛らわせるようにを飲んだ。

味はあまりせず、「ただアルコールを胃に流し込む」という作業だった。

そして、朝になるといつものように出社する。

 

 

そうなってくると生活はガタガタで、もはや何のために働いているのかがわからなくなってしまった

一日一日を事務的に消化している気がした。

そして、3月に心身の限界を超えてしまったのだ。

 

 

7月中旬に職場に戻るが、1週間ももたずに再び休職することになってしまった。

そんな自分に苛立ちとやりきれない思いが融合し、何度かいろいろな自傷行為をしてしまった。

 

 

★  ★  ★

 

 

・・・だめだ!悪いことしか書いていない。

もう、日記は閉じよう。

 

 

もう一度、目を瞑ってみる。

自分に問いかけてみる。

 

 

本当によいことはなかったのか?

楽しいこと嬉しいことはなかったのか?

些細な喜びはなかったのか?

 

 

そうすると、ぼんやりと浮かび上がってくるものがある。

あれは一体いつの出来事だっただろう?

これはどこの出来事だっただろう?

はっきりとは思い出せない。

けれど、そんな小さな喜びが、すりガラスの向こうにあるような気がする。

ひとつではなく、もっとたくさん。

 

 

普段なら気にも留めないような、日記にも書かないような小さなよいことがたくさんある。

悪いことにしか目がいかない私だけれど、よいことにもしっかりと目を向けよう。

大きな悪いことの隙間隙間に、小さなよいことがたくさん詰まっているはずだ。

 

 

見落とされやすく、悪いことがあるとすぐに影を潜めてしまう、小さなよいこと。

毎日時間を忘れ、忙しく過ごしているとつい見逃してしまう。

 

 

一日の半分以上の時間を仕事に費やしていたら、こんな考えはきっとできていなかったのだろう。

こうして文字にして書き起こすこともできていなかったのだろう。

記事にして発表すれば、わずかでも反響がきて、嬉しい気持ちになる。

 

 

仕事を休んでしまったことで経済的にも大きな影響を受けている。

けれど、それは案外、悪いことばかりではなさそうだ。

 

 

★  ★  ★

 

 

今年の私のキャンバスには、一体どんな絵が描けているのだろう。

日々付けていったを、にしたとき、どんな絵が描けているのだろう。

もしかしたら、3月まではガタガタの醜い絵かもしれない。

けれど、それ以降はどうだろう。

 

 

はっきりとした、力強い絵ではないかもしれない。

人によっては、くだらない絵に思えるかもしれない。

でも、それでいい。それでいい。

 

 

私のために、私なりの「絵」を描こう。

よいことも悪いこともひっくるめて、「味のある絵」を描こう。

それはきっと、来年の自分の役に立つはずだ。

そしてこの絵は、来年の自分への「おくりもの」にしよう。

 

 

まだ12月がある。

いくらでも修正がきく。

「小さなよいこと」を余白にたくさん散りばめて、一枚しかない「私の作品」を完成させよう。

 

 

次の年を新たな気持ちで迎えるために、一日一日をしっかり生きよう。

未練や後悔は残したくない。

残された今年を、自分のものにするために。

今日を、いま、このときを生きろ。

 

 

★  ★  ★

記事を紹介させていただいた、小さな大学生さま、このたびは考える機会を与えていただき、ありがとうございます。

もし、事実や解釈が異なることがあれば、お知らせいただければ幸いです。

★  ★  ★

 

 

最後までご覧いただきありがとうございます。

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