双極性naoの「てにをは」

双極性障害のnaoが伝える、ことばの力と闘病の記録。

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声に出して言われたくない日本語~言われると戦意喪失~

みずたまなおです。

こんにちは。

 

今回は、言われたくない言葉のお話です。

どうぞ最後までお付き合いくださいませ。

 

【目 次】

 

○○されたくない、ということ

 

言われたくない言葉、ありますか?

あなたには、周りの人から「これは言われたくない」という言葉はありますか?

また、それはどのような言葉ですか?

もしかしたら、全く思い浮かばないという方もいるかもしれません。

なかには、「あるはずだけど、すぐには…」という方もいるかもしれません。

 

されたくないこと

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私は、精神疾患を患ってからというもの、ことあるごとに自分自身と向き合う機会を作ってきました。

それは、引っ越しのタイミングだったり退職・就職だったりと、主に大きなライフイベントがあるときです。

今後、どのような方向に行こうとしているのか、選択ひとつで生活がガラリと変わってしまうため、自分自身と向き合うことは自然なことなのかもしれません。

 

自分自身と向き合うということは、「どうしたいのか」「どうしたくないのか」ということを浮き彫りにする、ということでもあります。

これは、思春期の自我の形成にも似ているような気がします。

 

同時に、「どうされたいのか」「どうされたくないのか」ということについてもよく考えるようになりました。

道徳的なところはもちろん、共通の認識としてありますが、その上で個人的に「どうされたくないのか」と考えることができたことは、私にとってとても有意義な時間となりました。

 

嫌いな言葉との違い 

言われたくない言葉は、嫌いな言葉(嫌な言葉)とはまた少しニュアンスが異なります。

嫌いな言葉はそもそも生理的に受け付けない言葉言われたくない言葉はそこまでではないけれど言われると気持ちのよいものではない言葉、という解釈を私はしています。

 

具体例を挙げると、汚い言葉や誹謗・中傷する言葉、差別的な言葉は、生理的に受け付けない嫌いな言葉(嫌な言葉)です。

これらは誰にとっても言われて気持ちのよいものではありませんよね。

一方、誰もが嫌な気分にならないけれど、人によってはあまりよい意味で取られない、というのが言われたくない言葉です。

 

これは、ある人にとっては特に何も感じなくても、また別の人にとっては深く印象に残ってしまい、最悪の場合、傷つけてしまう可能性のあるものです。

誰もがみな、嫌な気分になってしまうものではないために、その取り扱いは大変難しく、厄介なものなのです。

 

言われたくない言葉

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私が言われたくない言葉は3つあります。

これらは、精神疾患を患って自身と向き合うなかで気づいたもので、あくまでも個人的なものです。

おそらく、多くの方は特に何の違和感もなく言ったり言われたりしているものだと思いますので、「こんな人もいるのか」「変わった人もいるな」くらいの感覚で捉えていただければ、と思います。

 

がんばれ

「がんばれ」という言葉は、うつ病や双極性障害の方には言ってはいけないと書籍やネットで頻繁に見かけます。

疾患を持っていなくてもご存知の方が多いかもしれません。

 

うつ状態で、布団から起き上がれず何もできない状況で「がんばれ」と言われても、どうしようもありません。

だからこそ、「これ以上がんばれない」「何もできない」「申し訳ない」という思考に陥ってしまい、より強い自責の念に駆られてしまうのです。

うつ状態のときにこの言葉を言われると、発言者の思いとは裏腹に、当事者を追い詰めてしまうため注意が必要です。

 

精神疾患の当事者は、今までがんばり過ぎたことが原因で発症してしまったという方も多いでしょう。

うつ症状は、車でいえば「ガス欠」の状態です。

そんな状況で、「がんばれ」と言ってアクセルを踏み込んでも前に進めるはずがありません。

 

おそらく、うつ病や双極性障害を患っている方なら、ある程度共感していただけるのではないでしょうか。

 

ちなみに私の場合、「がんばれ」はほとんどNGです。

ほとんど、というのには条件付きでありだと思うからです。

それは、相手がこちらのことを尊重してくれているか、というところによります。

 

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個人的には、「がんばれ」はほぼNGでも、「がんばったね」「がんばろう」はOKと認識しています。

「がんばれ」は、どこか突き放すような印象や他人事のような印象を受けます。

一方で「がんばったね」は、やったことを認めてくれているという印象、「がんばろう」は自分のことを理解してくれている、寄り添ってくれているという印象があります。

 

もちろん、言い方や前後の文脈によって感じ方が変わってくるので、こういった言葉は言わない方が無難かもしれません。

 

当たり前

この言葉は、 日ごろ使っている方も多いと思います。

私は精神疾患を患って以降、この言葉に敏感に反応するようになりました。

 

朝起きて朝食をとり、歯磨きをして着替えて会社に行く。

こんな生活が当たり前だと思っていました。

しかし、うつ病で会社に行けなくなってからは、それすらできなくなってしまいました。

会社に行けないだけでなく、朝も起きれない、食事もできない、歯磨きもできない、着替えもできない、入浴もできない。

そんな「当たり前のこと」ができない、という自分自身に苛立ち、許せなくなってしまったのです。

 

少しずつそれらのことができるようになってくると、「当たり前って何だろう?」「当たり前って、実は当たり前ではないのでは?」と思うようになりました。

 

親やきょうだいが元気でいてくれるのも、1日3回食事ができることも、夜は温かい布団で眠れることも、全て当たり前ではないのではないだろうか。

親やきょうだいが今日、不慮の事故に遭ってしまうかもしれないし、倒れてしまうかもしれない。

災害が発生して、食事もままならないかもしれない、避難先の硬い床で寝ることになるかもしれない。

そう思うと、「当たり前」という考えそのものが、今の周り状況に対して、感謝することを忘れさせてしまっているのではないだろうか、と感じるようになったのです。

以来、私の中から「当たり前」という概念をなくしました。

 

 

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自分自身でそのように考えるようになったために、言われたくないと思うようになったのかはわかりません。

あとひとつ理由を挙げるとすれば、「当たり前」と言われることは、どこか発言者の価値観を押し付けられていると感じてしまうからです。

 

もちろんこれも、ルールやマナーなど社会人として守るべきところは守ります。

具体例を挙げれば、大学や専門学校を卒業すると就職する、というようなものです。

多くの人がそうしているからという理由だけで、いつからかそれが「当たり前」というような風潮があります。

しかし、もっと勉強したい人もいれば世界中を旅したい人もいる、起業する人もいる、投資家になる人もいる、またはそれ以外の人もいるかもしれません。

価値観は人それぞれで異なるものです。

他人から「こうするのが当たり前だ」と言われることは、価値観を押し付けられているような気がしてなりません。

自分の当たり前は、相手の当たり前ではないのです。

 

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〜らしさ

これも、価値観の押し付けになるような言葉です。

小さいころ、「男らしく~しなさい」「女らしく~しなさい」と言われたことはありませんか?

私は家族によく言われました。

 

「らしさ」というものは、あまりに漠然としすぎていて、何となくのイメージでしかないのではないでしょうか。

「男らしく」とは、「女らしく」とは、具体的にどんなものですか?

きっと「何となく」は共通の認識としての「男らしさ」や「女らしさ」というものはあっても、より細かくそれぞれの像を描くと、全ての人がまったく同じ、という結果にはならないのではないでしょうか。

 

男性女性以外でも、新入社員らしく、若者らしくなど、言われるたびに、なんだか腑に落ちない思いをしてきました。

「新入社員らしく」という人の中には「理想の新入社員像」があるのだと思います。

それがあるのは悪いことではないのですが、それをこちらに向けられるのは違和感を覚えます。

 

おわりに

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これらの言葉は言われたくないため、私自身もほとんど使うことはありません。

過去のブログの記事でも、引用や関連するテーマ以外では使用していません。

 

繰り返しになりますが、これらはあくまでも個人的に言われたくない言葉です。

全く気にならないという方も多いかと思います。

このように、言われたくない言葉は人によって異なるものだと考えます。

だからこそ、こちらに悪気はなくても相手を不快にさせてしまうことも大いにあるのです。

そして、言葉にはそれだけの力があるのです。

 

自分が言われたくない言葉を知ることは、自分自身の認識や価値観を再確認できるよいきっかけになるのではないでしょうか。

それを知ることで、周囲に対する発言にも心配りができるようになるのだと感じます。

 

 

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