双極性naoの「てにをは」

双極性障害のnaoが伝える、ことばの力と闘病の記録。

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ブログはアクセス数が全てではない〜可能性とジレンマ〜

ブログからの気づき・学び

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私は他の方のブログをよく拝見するのだが、その中で刺激を受けることが多々ある。

それは、着眼点だったり価値観だったりと実にさまざまだ。

ブロガーさんが置かれている状況が一人ひとり違うように、考え方も、取り上げる内容も人によって大きく異なる。

共感するものもあれば、そうでないものもある。

「そうではないもの」がいけない、という訳ではない。

それは、私の凝り固まった考え方を解してスパイスを与えてくれている。

また、同じように考えていても、私よりずっと深い内容で「かゆいところに手が届く」というものもある。

そのたびに、新たな気づきや自身の考えを再確認させていただいている。

 

 

他のブログから学んだり気づかせてもらったりすることは非常に多い。

取り上げるテーマは何であれ、どんな記事にも共通して言えることは、独自性があるということだ。

堅苦しいかもしれないが、小論文に似ているのかもしれない。

そして、そこで得た学びや気づきをベースに、私なりの考え、つまりオリジナリティを加えてひとつの記事にしている。

中には他の方の記事を、私の記事で取り上げさせていただくこともある。

それは、私が大きく共感し、考えを深めることができたテーマ・切り口であったことは言うまでもない。

それぞれの記事内にも書いているが、ここで改めて御礼を申し上げたい。

 

 

他の方のブログから学ぶことは、テーマや切り口以外でも多くある。

例えば、文章の構成

どのような順序で内容を展開していけばより読者の方に伝わるのか、起承転結はあるか、だらだらと無駄な文章を書き連ねていないか。

また、文章自体

言い回しはこれで適切か、誤字脱字はないか、句読点はこれでよいのか、改行・段落の変更はこれでよいのか。

そして、全体を俯瞰してみて読みやすい記事に仕上がっているかどうか。

 

 

これら全てをやろうとすると、ひとつの記事に膨大な時間を費やすことになるためできていないが、「なるべく」というくらいの意識で、頭の片隅に置いて記事を書いている。

 

 

他の方の運営報告

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ブログ運営に関して、3ヶ月や半年などの区切りのタイミングで運営報告を行うブロガーさんは多い。

PV(ページビュー)やUU(ユニークユーザー)の先月比や、開設からの推移などが紹介されている。

 

 

私も2017年8月28日の開設以来、区切りの28日には一応そのようなものを記事にしている。

「一応」というのは、運営報告ではなく、この1ヶ月でどんなことに気づき、どんな記事を書いたのか、という振り返りと抱負についてを主に書いている。

PVやUUといった具体的な数字については、全く触れていない。

 

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それには理由がある。

私自身があまり数字に関心がない、ということが一つの要因として考えられる。

ただ、それ以上に「目の前のひとりに届けばいい」という、当ブログのコンセプトがあるからだ。

「狭く深く」を目指す当ブログにおいて、数字を報告するのは違和感がある。

 

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ブログ運営のジレンマ

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他の方が運営報告をしている記事を読むのは、とても面白い。

このひと月でどれくらいのアクセスがあったのか、PVは?UUは?などが増えたのか減ったのか。

また、最も読まれた記事はどんな記事なのか。

こうしたことは、とても興味があるし、もっと知りたい。

数字にあまり執着のない私でも、非常に関心があるものだ。

 

 

隣の芝生は青く見えるもので、他の方の運営報告を見ると、自ずと当ブログの現状を突きつけられ、比較してしまう。

「目の前のひとりに届けばいい」と言ってはいるものの、比較をする度に羨ましさと劣等感が大なり小なりある。

 

 

同じ時期にブログを始めているブロガーさんの方が、たくさんのアクセスやPV、はてなスターを集めていることも多い。

このブログに足りないものは一体何か、改善点はないか、そう考えるとどうしても広く共感を得られるテーマ、タイトルになってしまう。

しかし、「本当にそれでいいのか?」と自問を繰り返してしまう。

 

 

私が言える立場ではないが、やはり記事は面白ければ読まれるし、そうでないものは読まれない。

面白い記事が集積したブログには読者がつき、そうでないものには読者はつかない。

よく「ブログは最低3ヶ月は続けよ」「100記事を目指せ」という記事が散見されるが、その真偽は疑わしい。

例え、ブログを3ヶ月続けて、100もの記事を書いたところで、中身のないものや面白くないものにはアクセスは見込めないし読者もはてなスターもつかない。

残酷な話だが、必ずしも全員が全員認められる訳ではなく、コンテンツの有益性に依るところが大きいのだろう。

 

 

こういったことを考えていると、このブログにも迷いが生じてくる。

強い信念を持ってブログ運営をしていれば気持ちが揺らぐことはないのかもしれないが、あいにく私にはそれができない。

「数字は気にしない」と言っておきながら、数字を意識してしまうところもある。

やはり自分のブログには愛着があるし、いつもそれなりに時間をかけて記事を書いているため、どうせなら一人でも多くの方に読んでほしいと思うことはブロガーの常かもしれない。

私は、数字と信念の板挟みに陥っているのだ。

 

 

それ故、試行錯誤の連続だ。

この記事は例外だが、基本的に文体は「です・ます調」を使っている。

これは「目の前のひとり」に語りかけようとしているからだ。

しかし、「だ・である調」の方がいいのか、「フランクな口語」の方がいいのか、記事の書きはじめでいつも逡巡してしまう。

 

ブログの可能性

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このブログには「今、苦しんでいるあなた」にそっと手を差し伸べてあげられるようなブログを目指す、という基本理念がある。

極端な言い方をすれば、万人受けはしないが、誰かたったひとりに深く突き刺さる、そんなブログだ。

客観的に見れば、「広く浅く」というブログ媒体そのものが、「狭く深く」という私の思いを伝えるのに適した場なのかどうかはわからない。

そっと手を差し伸べてあげられるような上手な文章を、本当に私が書けるのかどうかもわからない。

しかし、その可能性はゼロではないと信じている。

 

 

ブログを運営する目的は、どんなものでも構わないと私は考える。

収益を得るため、情報を広く知ってもらうため、趣味を紹介するため、私のように誰かひとりに手を差し伸べるため、とさまざまなものがあってよいはずだ。

 

 

ブログを始めた本来の目的は何か、という根本に立ち返ってみると、やはり「広く浅く」というよりも「狭く深く」というものの方が、私のブログにはしっくりくる。

ただ、私が書く記事が全て「狭く浅く」というものではない。

ときには「広く浅く」伝えたいこともある。

そう考えると、今以上のアクセスと、ブログそのものの読者を増やすという努力もする必要がある。

しかし、そのことに注力し過ぎては大衆迎合の記事になりかねない。

そこに充てる力配分を再考することも必要なのだろう。

 

 

繰り返しになるが、このブログはやはり「目の前のひとりに語りかけるもの」「誰かひとりに手を差し伸べてあげられるもの」でありたい。

それは、私自身もある方のブログに救われた経験が何度もあるからだ。

苦しみの中で手探りの状態の方に対して、灯籠というか、方位磁針になるようなブログを目指したい。

 

 

いつ、どこで、どのような人が、どういう時に当ブログにアクセスしてくれて、記事を読んでくれるのかはわからない。

その読者の方に思いを馳せる。

決して会うことのないインターネットの世界だ。

私の拙い文章が相手に届くのか、そうでないのか。

届いていないのなら、届くようなテーマや文章にするために研鑽を積まなければならない。

しかし、もし相手に届いているのなら、これほど嬉しいことはない。

アクセスはたった「1」しかないが、その「1」は、何百、何千のアクセスよりもずっと価値があるはずだ。

私はブログの可能性を信じたい。

 

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