双極性naoの「てにをは」

双極性障害のnaoが伝える、ことばの力と闘病の記録。

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リアルの組織、ネットのコミュニティ~SNSでの身の置き方~

みずたまなおです。

こんにちは。

 

今回は、SNSでの身の置き方についてのお話です。

どうぞ最後までお付き合いくださいませ。

 

【目 次】

 

双極性障害である私

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このブログのタイトル「双極性naoの『てにをは』」からもお分かりかと思いますが、私は、双極性障害(躁うつ病)という精神疾患を患っています。

もともと名前くらいは聞いたことがあったけれど、はじめは全く受け入れられませんでした。

これはおそらく、双極性障害だけに限ったことではないでしょう。

 

双極性障害は、風邪や骨折などのように「ある期間が過ぎれば治る」というものではなく、年単位という気の遠くなる、しかも、もしかしたら一生涯付き合っていかなければならない病気なのです。

 

ことに精神疾患は、パッと一目見てわかるものではありません。

それは、よくも悪くもあります。

例えば街中を歩くとき、すれ違う人たちはおそらく「私が精神疾患を抱えている」とは思わないでしょう。

しかし、外見からは理解しづらいために、本当にわかってほしい人にわかってもらえない、ということもあります。

 

「目に見える病気だったらいいのになぁ」と思うことも、これまでに何十回とありました。

 

同病意識についてのある記事から

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「とても親交がある」(と、私が一方的に思っている)方のブログに「同病意識」についての記事が書かれていました。

この方も私と同じ双極性障害を罹患されていて、10年もの間、闘病生活を送っておられます。

 

記事では、「SNS上での同病者との関わり」をテーマに、筆者と周りの人との関係に着目し、その上で、筆者自身の個人的な身の置き方について述べています。

筆者自身の同病意識としては、「同じ病気だからといって、それだけで強い仲間意識は持てない」としています。

 

筆者は記事のなかで、SNSで同病者と繋がることへの心境を次のように説明しています。(要約)

SNSを始めた当初、同病者と繋がることでお互いを深く理解できる、ある種の「仲間」だと思っていた。

しかし、実際は微妙だ。

「同病」という共通項があるため、同病者が言うことに対してある程度の共感や理解はある。

それは間違いない。

仲間意識が全くないわけではない。

自分と似た境遇の人を応援したいという気持ちもある。

でも、「ある程度止まり」だ。

つまり私は「同病の仲間意識が薄い人」だと思う。

 

その上で筆者は、自身をこのように分析しています。

同じ病気というだけで「私たちはお互いを理解し合える仲間だ」、「この病気を抱える全ての仲間たちが幸せになってほしい」などと言える人が苦手だ。

その人たちを否定するわけではない。

なんか、仲間意識が強すぎるように思えて、正直引いてしまう。

私にとって、双極性障害という病気は、「私」という人間を構成する要素のひとつでしかない。

 

私がいうのは恐縮ではありますが、筆者はおそらくSNSを始めてから長い間、モヤモヤとしたものを抱えていたのではないかと感じます。

また、ご自身の言葉で表現するまでにも多くのことを考え、整理し、分析されたものと思います。

 

<参考記事>

soukyokuvariety.hatenablog.com 

 

コミュニティの成り立ち

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私たちは日々、さまざまな組織に属しながら生活をしています。

それは「家族」という最小の単位から、会社、学校、日本、世界、太陽系、宇宙というところまで。

 

そのなかで、私たちはいくつもの組織の一員として生活しています。

「家族の一員」でありながら「社会の一員」でもあるのです。

そういった、自分の力でその立ち位置を簡単には変えることのできないものを「組織」と、私は考えます。

「妻としての私」や「係長としての私」などは自力ではなかなか変えられませんよね。

※学術的に明確な定義があるとは思いますが、ここでは個人的な見解です。

 

一方で、自分の力でその立ち位置を変えられるものを「コミュニティ」と考えます。

「仲のよい4人組の中の私」や「サークルの中での私」などはその一例と言えるのかもしれません。

SNSはその確たる例ではないでしょうか。

 

SNSは先に挙げたコミュニティの例と比べると、そのつながりは緩やかで、オープンな場だと言えるでしょう。

SNS上で他人と交流するとき、何らかの共通点がなければつながる機会はなかなかないものなのかもしれません。

 

例えば、友だち同士の場合なら「友だち」という共通項が、部活動仲間なら「部活動」という共通項があります。

こうした人たちがSNSでつながることは、実際の人間関係をベースにコミュニティが成り立っている、つまり、「お互いがどういう人間か」をある程度理解した上でつながっているのです。

 

では、先ほどご紹介した記事の例にも当てはまりますが、「双極性障害」という共通項がある場合について考えます。

精神疾患は目に見えるものではありません。

街中を歩いていて、「あの人は私と同じ双極性障害だ」ということはまずありません。

リワークプログラムに参加したり、自助会に参加したりすれば出会える可能性もありますが、めったに同病者に出会うことはできません。

 

それでは同病者と交流するにはどうすればよいか、と考えると半ば必然的に匿名で利用できる「SNS」に行き着きます。

私がSNSを始めたきっかけがまさにこれで、日常的に孤独感や不安感を抱いていたからです。

書籍やサイトでは情報が少なすぎるし、何より今ほしい情報がない。

それなら自分から聞けばいい、という理由でSNSをスタートさせました。

 

私のSNSの主な利用目的は「同病者との情報交換」です。

そうすると、当然同じ双極性障害の方と交流することになります。

とても多くの方とつながりを持ち、さまざまな情報交換をさせていただいています。

今となっては、同病の方とも、また別の病の方ともつながっています。

これは本当にありがたいことです。

 

ここで気つけなければならないことがあります。

それは、実際の人間関係を土台につながりを持っているわけではない、ということです。

友人関係や同僚というような、お互いに少なからずその人の人間性を把握した上でSNS上でつながっているものとは全くの別物なのです。

 

同じSNSで、同じようにつながっているように見えて、大きく異なります。

ある共通項をきっかけにSNSでつながりを持つけれど、SNS以外につながりがないという場合、その共通項だけでその人のことを全てわかったつもりになるのは非常に危険なことなのです。

 

<関連記事>

組織の中で無理していませんか? 

www.nao-mizutama.com

 

SNSでの身の置き方

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SNSだけでつながりを持つことは、よい点も悪い点もあります。

一長一短があるのは、私たちが生活している目の前の世界も同じです。

 

現実の世界では、少なくともいくらかは人間性を見て近づくか否かを決定できる良さがあります。

「この人とはちょっと関わらない方がいいのでは?」という人に出会ったことがあるという人も多いかもしれません。

そうした人たちで築かれたコミュニティは、盤石なものになるでしょう。

その人たちの中では強固な結束力があるものの、それを外から見ている人たちにとっては「閉塞的」とか「入りづらい」という感情を持ってしまうかもしれません。

例えるならば、かつて農産漁村にあった「寄合」のようなものです。

 

その一方で、SNSのみでつながっている場合はそういったものがほとんどなく、開放的です。

その人たちの中で、思い思いにコミュニティをつくり、つながっていくのです。

しかし、そのつながりは希薄であることが多い。

コミュニティに入って行きやすく、出ても行きやすいのです。

そのため、相手をブロックしたり、フォローを解除したりすることが容易にできてしまうのです。

 

SNS上でなら、私と同じ双極性障害を持つ人とつながって情報交換をすることが簡単にできます。

でも、同じ「双極性障害」というくくりではあるものの、病気の症状をはじめ、病気に対する考え方や向き合い方は一人ひとり異なるものだと考えます。

それらは他人に否定されるべきものではなく、押し付けられるものでもありません。

 

しかし、考え方が違うからといって、相手を簡単にブロックしたり、フォローを解除したりすることが果たして良いことなのか、と言われれば、私はNOだとはっきり言えます。

システム上は簡単にできるけれど、本当にそうすることがよいことなのか、また反対に自分が相手の立場になったときどう思うか。

私自身、そういうことをした経験もあれば、された経験もあります。

私は、寛容性のなさに反省するのと同時に、SNSにのめり込むあまり視野が狭くなってしまっていたことに気づかされたのです。

そのことが、SNSでの私の身の置き方を変えたのです。

 

SNSは、「浅く広く」交流できるのが良さでもあります。

自由な空間だからこそ、利用者のモラルも問われます。

もちろん、発言には責任が伴うことも忘れてはなりません。

 

もし、自分とは異なる考えの人がいたとしても「そういう人もいる」と考える。

 

SNSは、非常にオープンな場所です。

それは、多様性を意味します。

そういう場所だからこそ、私たちは、自主的にそれを受け入れようとする「寛容さ」と、一歩さがって物事を考えようとする「冷静さ」が求められるのだと感じます。

 

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記事を紹介させていただいた、ほうふつさま、このたびは考える機会を与えていただき、ありがとうございます。

もし、事実や解釈が異なる場合があれば、お知らせいただければ幸いです。

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