双極性naoの「てにをは」

双極性障害のnaoが伝える、ことばの力と闘病の記録。

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おカネと収支の話~平均年収はただの点に過ぎない〜

みずたまなおです。

こんにちは。

 

今回は、収入と支出についてのお話です。

どうぞ最後までお付き合いくださいませ。

 

【目 次】

 

 

お金をください

お金をください

  • 青森最後の詩人ひろやー
  • シンガーソングライター
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お金のイメージ

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あなたは「お金」と聞いて、どのようなことを想像しますか?

大きな夢を持っているなら一攫千金を、現実的な考えを持っているならより堅実なお金のイメージを抱くかもしれません。

 

では、現実的な考えを持つあなたにお聞きします。

そのお金のイメージは、具体的にどのようなものですか?

その考えが現実的であればあるほど、収入や支出のことを連想していませんか?

 

収入や支出は、私たちが生活する上で必要不可欠な要素であるため、こうしたイメージを持つことは至極全うなことです。

お金がなければ、生活自体が成り立ちません。

そう考えると、「お金=収支・生活基盤」ということを嫌でも考えざるを得ないという、ある意味では必然なのかもしれません。

 

比較は罪である

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収入の話になったとき、私はどこか腑に落ちないと感じることがあります。

それは、テレビやネットのコラムなどでよく見かける「あなたの収入教えてください」というような企画です。

 

その対象が芸能人であろうとなかろうと、収入に関しては、なかなかおおっぴらにはできないものです。

かといって私たちが「年収いくらですか?」と直接聞くのははばかられるし、何より不躾でもあります。

そういう私たちの心理を上手に利用して、メディアは注目を集めようとしているのでしょう。

 

私も、こうした企画にニーズがあるのは理解できるし、娯楽としては興味もそそられます。

ただ、私が「腑に落ちない」と感じるのは、それを観た私たちの受け止め方です。

 

確かに、他人の収入は気になるものです。

聞くに聞けない分、余計に気になるものなのかもしれません。

私自身、「あの人はどれくらいの年収(月収)なのだろう」と思うこともあります。

しかし一方で、「聞いたところで一体何になるのだろうか」と思う私もいるのです。

 

他人の収入を知ったところで自分の収入が増えることはないし、結局は、自分と比較するだけに過ぎません。

その人の収入よりも多ければ多少なりとも優越感に浸れるし、少なければ落胆する。

それ以上でもそれ以下でもないのです。

 

メディアによって発信された「年収はいくらか」という企画が、知らず知らずのうちに私たちの生活に侵食し、比較する習慣を植え付けたのかもしれません。

しかし、メディアに全ての責任がある訳ではなく、受け手である私たちにも少なからず責任があるものと感じます。

それは、政治でも事件・事故でも、ドキュメンタリーでもバラエティーでも同じで、どのように受け止め、どのように感じるかは個々人の自由です。

その点において、特に収入面においては、「自分と他人を比較する」という思考を強烈に植え付けられている私たちにも、責任の一端があるように感じるのです。

 

平均は点である

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ある検索エンジンに「年収」と入力すると、関連ワードとして「平均」という言葉が登場します。

他にも、「20代(30代)」と入力すると、「年収」や「平均」などが登場することもあります。

もちろん40代や50代も。

 

「それを調べて何になるのか」と私は考えるのです。

私もかつて、調べていた時期があったからこそ、このように考えるようになったわけですが…。

 

平均は、あくまでも全サンプル(調査対象者)の中から弾き出された「点」に過ぎません。

「20代」というくくりの中には、20歳の人もいれば、29歳の人もいます。

20歳と29歳では、年収にも差があるでしょう。

もし、調査が20歳の割合が多く、平均年収が検索した人の予想よりはるかに低い水準だったら、その人は優越感に浸ることができるでしょう。

でも、本当に手放しで喜べますか?

 

都道府県によって、時給の最低賃金に差があるように、大都市圏とその他の地域では物価も違うし収入も違うものです。

同じ額の収入を得ていても、大都市圏とその他の地域では、生活に大きな差が生じるです。

その他の地域ではそれなりに生活できても、大都市圏では切り詰めなければ生活できないということもあるでしょう。

その他の地域の人が調査対象者の多くを占めた場合、その年収額の平均を見て、大都市圏に住む人の年収額の方が圧倒的に上回っていた場合、本当に優越感に浸れますか?

 

極端な例えになりますが、10人に年収の調査をしたとします。

9人は年収300万円、1人は年収100億円だとします。

このとき10人の平均年収は、10億2700万円になります。

 

繰り返しになりますが、「平均」というものは、ただの点にしか過ぎません。

それが、いつ、だれが、どういった形で、何人に調査をしたものなのか。

結果として表にでない情報はいくらでも隠されています。

ひとつの指標にはなっても、それを鵜呑みにすることは非常に危険なことなのです。

まして、それを基準に「それよりも上か下か」というだけで一喜一憂することは極めて短絡的なのではないかと考えるのです。

 

収支で考える

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「理想の結婚相手の条件として、年収○○万円以上」などという条件を挙げる方に、私はかつて出会ったことがあります。

それは人それぞれ、十人いれば十通りの考え方があってもいいのですが、私はあまり共感できませんでした。

 

当然のことながら、収入はないよりもある方がいいし、あればあるに越したことはありません。

私たちが生きていくためには、お金が必要です。

でも、「収入が全てなのだろうか」と思うのです。

 

例え、年収1000万円稼いでいたとしても、豪遊したり、高額な買い物ばかりしていてはお金は減る一方です。

支出も年間1000万円だったとしても、です。

それはそれで構いません。

事実、年収1000万円なのだから、堂々としていればいい。

そのことに目を眩ませられて、よりその人が魅力的に見えて引き寄せられる人もいるでしょう。

 

一方で、年収300万円でも無理なくやりくりをして、年間30万円でも手元に残る。

 

「どちらかの人をパートナーとして選べ」と問われれば、私は間違いなく後者を選びます。

あなたはいかがですか?

 

収入という切り口で社会を切り取ることも、ひとつの指標にはなりますが、決してそれだけではありません。

ときは他人の収入が気になることもあるでしょう。

でも、他人と比べたところで自分の収入が変わることはありません。

自分の収入の低さを卑下する必要もないのです。

他人は他人、自分は自分。

胸を張っていきましょう!

 

最も大切なことは「いくら稼ぐか」ではなく、「いくら残すか」ということ。

年収至上主義が早くなくなってほしいものです。

 

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石田衣良さんも著書のなかで言及しています。 

www.nao-mizutama.com

 

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