双極性naoの「てにをは」

双極性障害のnaoが伝える、ことばの力と闘病の記録。

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苦しさの意味を考えませんか?得たものは必ずあなたを助ける

みずたまなおです。

こんにちは。

 

今回は、苦しさの意味についてのお話です。

どうぞ最後までお付き合いくださいませ。

 

【目 次】

  

 

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人生やり直したいですか?

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あなたはこれまで一度でも「人生をやり直したい」と思ったことはありますか?

やり直すなら、何歳からやり直したいですか?

きっと、そう考えたことのある方は多いのではないでしょうか。

 

私もそのうちのひとりです。

私は初めうつ病と診断され、のちに双極性障害と診断名が変わりました。

うつ病になった当初は、気分の落ち込みと全く先の見えない不安から、「あぁ、人生やり直せたらな」と思うことがしばしばありました。

 

「人生をやり直せるなら、何歳がいいかな」、「2歳くらいがいいかな」、「8歳くらいがいいかな」、「それとも…」などと考えを巡らすことで、現実から目を背けて過ごしていました。

妄想のなかの自分に思いを馳せるのは楽しいものです。

ところが、ひとたび現実に引き戻されれば、漆黒の闇のなかにぽつんと佇む私がいるのです。

 

私の場合、病気によって「やり直したい」と思ったわけですが、人によっては病気以外でもそのように思うことがあるのかもしれません。

例えば、仕事で大きな失敗をしてしまったとき。

また、人間関係がもつれてしまったとき。

あなたはいかがですか?

 

ひとが「人生をやり直したい」と思うとき、ほとんどの場合は自分の身に悪いことが起こったときです。

そして、そのことに対して自分自身を責めているときではないでしょうか。

 

「どうしてこんなことになってしまったのだろう」、「どうしてあんなことを言ってしまったのだろう」というところから、最終的に「あぁ、人生やり直せたらな」という考えに至ることが多いのではないかな、と考えています。

 

現実と対峙する

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「どうして…」と考えるとき、私たちはその原因や理由を追求しています。

英語でいうwhy(なぜ)と同じです。

答えが出るものもありますが、当然答えの出ないものもあります。

原因や理由を追求するということは、反省する気持ちがあるからこそ起こるもので、決して悪いことではありません。

むしろ、「同じ過ちを繰り返したくない」ということで、あなたが人として成長している証しです。

 

ただ、いくら成長していると言っても、いつまでも「どうして…」と思っていては、稼働中のランニングマシンの上で立ち止まることと同じです。

あなたの気持ちが落ち着くまでは、感情のままに過ごせばいい。

けれど、ある程度の平静を取り戻したら、例えゆっくりでもその現実を受け入れなければなりません。

 

受け入れることは、とても苦しい作業です。

直視したくない現実を、真正面から向き合わなければならないのですから。

その作業を終えるのにどのくらいの時間がかかるかはわかりません。

自分自身で消化するのに数日かかる場合もあれば、数ヵ月かかる場合もあります。

それは、そのときの体調や置かれている環境などによっても変わってくるでしょう。

 

私がうつ病になってすぐは、その現実を直視することはできませんでした。

それどころか、「絶対うつ病なんかではない!」とさえ思っていました。

それが時間とともに「自分はうつ病なんだな…」と思い始め、次第に「どうして自分がこのようなことになったのだろう」、「どうしてこんなつらい思いをしているのだろう」、「どうして…」と思うようになりました。

そして「あぁ、人生やり直せたらな…」と、ぼんやり考えるようになったのです。

 

起きた意味を考える

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私は長いときを経て、行き着いたことがあります。

それは、「私の身に起こる全てのことには何かしらの意味がある」ということです。

宗教云々という話ではなく、これまでに経験してきたことには必ず何かしらの意味を持っているものだと私は考えています。

それは、一見ムダに思えるような小さなことから、病気や怪我という、そうではないことまで全てです。

 

生まれてから今日に至るまで、私の身に起こるありとあらゆることは、何か必ず意味を持ち、今後いつかどこかで必ず役に立つ、そう信じています。

いつ、どこで、どのような形で役に立つかは全くわかりません。

しかし、自分の身に起きたことを自分なりに消化して得られた経験は、いつか自分自身を助けてくれるものなのだと感じます。

これまで自身が置かれた環境や、交遊関係、体験などは、自分ではなかなか気づかないものかもしれないけれど、自身の大きな礎となっているはずです。

 

では、私の場合はどうなのか。

うつ病や双極性障害という病気になって、それを受け入れることは簡単ではありませんでした。

一筋の光さえも見えない日々が長く続きました。

ですが、徐々に受け入れられるようになり、そこから得られたことはたくさんありました。

病気にならなければ決して気づかなかったであろう大切なことも多くあります。

 

病気になっていなければ、ブログ自体もやっていなかっただろうし、今、こうしてお話している内容も、あなたに伝えられなかったでしょう。

また以前の記事のなかで「10年遅れの思春期」のお話をしましたが、これも病気になって、ゆっくりと自分自身と向き合うことができたからこそ得られた成果です。

 

これらはほんの一例にしか過ぎず、本当はもっともっとたくさんのものを得ることができました。

そのように考えると、病気になった意味は大いにあるのだと実感できるのです。

 

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10年遅れの思春期のお話です。

www.nao-mizutama.com

 

経験はあなたを助ける

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病気によって、私の人生が大きく変わったのは確かです。

思い描いていた人生設計が狂ったのも事実です。

でも今は、そのことを悔いていません。

 

「病気になってよかった」ということはありませんが、少なくとも「どうして病気になってしまったのかな」とか、「どうしてこんなに苦しまないといけないのかな」という、原因探しや理由探しをすることはなくなりました。

それは、何年もの期間を経て記憶が薄れてきたということもありますが、私自身が病気を受け入れ、少しずつでもその意味を見出だすことができるようになってきたからなのだと感じます。

 

あなたが「人生をやり直したい」と強く思ったり、絶望の淵に立たされたりするようなことに遭遇したとき、それはあなたにとって、のちにきっと大きな財産になるはずです。

はじめは状況さえも把握できず、うろたえることしかできないかもしれません。

現実から目を背けたくなるかもしれません。

「どうして?どうして?」と思うこともあるでしょう。

それは仕方がないことです。

 

いつか、冷静さを取り戻せたとき、少しずつでも目の前の状況を見てみませんか?

それを受け入れられるようになったとき、その意味がかすかに見えてくるかもしれません。

 

立ち止まって原因探しや理由探しをすることも、ときには必要です。

でも、いつかは動き出す日がやって来る。

そのときに、立ち止まっていた意味がわずかでも見出だすことができているのならば、あなたは大きく成長し、間違いなく強くなっている。

 

あなたの身に起きたことを、あなたなりに消化して得られた経験は、必ずあなたを成長させ、いつかあなた自身を助けてくれるはずです。

 

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