双極性naoの「てにをは」

双極性障害のnaoが伝える、ことばの力と闘病の記録。

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無理して演じていませんか?生きづらさを抱えるあなたへ

みずたまなおです。

こんにちは。

 

今回は、本当の自分についてのお話です。

どうぞ最後までお付き合いくださいませ。

 

【目 次】

  

 

あなたの声

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本当の自分を忘れる

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あなたは「自分自身に疲れた」と感じたことはありませんか?

私はときどきそう感じることがあります。

現在こそ「ときどき」なのですが、小学校から高校を卒業する頃くらいまでは毎日のように感じていました。

 

特に希死念慮があった訳ではありませんが、ただ何となく「疲れたな」とか「生きづらいな」と思ってばかりいました。

それは、小学生高学年から高校生までの自我の形成において重要な時期を、荒れた家庭環境で育ったことも多いに関係していることだと思います。

父が毎晩酒を大量に飲んではその度に母を怒鳴り散らし、ときには手が出たり椅子が飛んだりする。

そんな父を泣きながら止めようとする私。

 

中学校は県内屈指の不良校で、過去に放火で校舎が全焼したのだとか。

バイクで廊下を走ったり、給食が3階から降ってきたり、先生と喧嘩したり、非常ベルが鳴ったりと授業妨害は日常茶飯事。

私を含め、黒板の方を向いてまじめに授業を受けている他の生徒の頭を後ろから順番に叩かれたりしていました。

私は、目立ったらやられると思い、いかに存在を消すかということばかり考えていました。

 

荒れた家と荒れた学校を往復する毎日を過ごしていました。

家で父を制止しようとする私、学校で存在を消そうとする私。

自分自身と向き合うための大切な思春期という時期を、「本当の自分」をなおざりにして過ごしてきたのです。

 

小学校低学年のころまでの私は、とても明るく活発で社交的でした。

ところが、それ以降は正反対の私へと変わっていくのです。

「本当の自分」というものを、どこか胸の内の奥深い闇の中に閉じ込めていたのです。

「このままでは『本当の自分』が傷ついてしまう、ならばそれを閉じ込めて、代わりの自分を私が演じよう」と。

私は自分で「本当の自分」を殺そうと考えたのです。

 

そんな日々を続けているうちに、次第に「自分自身に疲れた」と感じるようになるのです。

 

仮面を被る

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私たちがこの世に生を受けてからみな、組織の中での繋がりを保ち続けながら今日まで至っています。

それは、両親やきょうだいや親戚、近所の人々、友人や先輩後輩、学校の先生、上司部下など。

なかなか組織というイメージは実感できないけれど、果ては日本、世界、地球、太陽系、宇宙というところまで。

私たちは誕生したら、まず「家族」という最小の組織の中で育ちながら、親戚や近所の人々と繋がりを持つようになります。

そして成長するにつれ、学校や会社という、より大きな組織の中に身を置くようになります。

 

その中で、私たちは無意識のうちに「本当の自分」というものの上に「組織の中での自分」という仮面を被ります。

どんなときでも100%の「本当の自分」(素の自分)を出せればよいのですが、あらゆる組織の構成員として、うまく立ち回ろうとすれば必ずしもそういう訳にはいきません。

多かれ少なかれ、誰もがいくつかの仮面を持ち、使い分けながら生活しているのではないでしょうか。

家族といるときには「家族の中の自分」、学校にいるときには「学校(○年○組)の中の自分」など。

 

一度に複数の仮面を被ることもあります。

中学1年生の女の子を例に考えます。

家族という組織で考えれば、両親に対しては「子供としての自分」や「娘としての自分」の、きょうだいに対しては「妹としての自分」の仮面を被っています。

学校に行けば、「1年○組の自分」、「○○部の自分」、「友人のなかでの自分」など。

このように、場面場面に応じて「本当の自分」の上からいろいろな仮面を適宜被り替えることで、それぞれの組織の中に溶け込んでいけるようになるのだと考えます。

 

自分を演じる

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具体的に「自分自身に疲れた」とはどのようなことなのでしょうか。

当時は、ただ漠然と感じていただけでした。

しかし年月が経って、うつ病で休職するようになって、私自身のことを考える時間ができたことで、そのことを客観視できるようになったような気がします。

 

私もみんなと同じように、学校に行けば「学校の中の自分」、家に帰れば「家族の中の自分」や「子供としての自分」になっていました。

ただ、決定的に違う点は「本当の自分」がないままこのような仮面を被っていたのです。

私の「本当の自分」は、胸の内の奥深くにしまっていました。

そんななか、私はいろいろな仮面をあれこれ付け替えて、そのたびに「○○としての自分」を演じてきたのです。

「本当の自分」を無理やり押し殺して、「子供としての自分」も「学校の中の自分」も硬くて重い鉄の仮面を被って生活していました。

その理由はただひとつ、「本当の自分」が傷つくことを恐れたからです。

生きづらさを感じたのも、おそらくこのことに起因するものと感じます。

 

「本当の自分」を長い期間閉じ込めていた代償はあまりに大きく、見失いかけたものを取り戻すまでに約2ヶ月かかりました。

その作業は途方もなく、大きな精神的苦痛を伴いました。

例えるなら、大きく開いた傷口からヘドロが脈打ちながら止めどなく出続ける、というような感じです。

見過ごすこともできはしましたが、「今、取り戻さないともっと苦しくなる!」という感情に強く襲われたのです。

その甲斐もあり、80%くらいは取り戻せたのではないかな、と思っています。

そのとき私は25歳、10年遅れてやってきた思春期だったのかもしれません。

 

本当の自分の声を聴く

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私は今日も、何かの仮面を被って生活しています。

しかし、それはかつての私のように「本当の自分」をないがしろにしたままではなく、「本当の自分」の上から仮面を被っています。

まだまだ状況によっては別の自分を演じることもあります。

その方が良い場合もあるでしょう。

それはまたそのとき考えればよいのかな。

 

もし今あなたが、生きづらさや窮屈さ、そしてそんな自分に疲れているのなら、少し立ち止まって考えてみませんか?

もしかしたら私と同じように、「本当の自分」を封印して無理やりその場に相応しい「○○としてのあなた」を演じてしまっているのかもしれません。

 

ガチガチに固めた鉄の仮面をゆっくり外して、「本当のあなた」と声を聴いてみませんか?

本当のあなたは、きっと、とても繊細で、とても優しい。

「本当のあなた」の声を聴けるのは、あなただけなのです。

 

 

最後までご覧いただきありがとうございます。

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