双極性naoの「てにをは」

双極性障害のnaoが伝える、ことばの力と闘病の記録。

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少しの理解と寄り添いを~キンモクセイ香る無人駅にて~

みずたまなおです。

こんにちは。

 

今回は名も知らぬおばあちゃんが、あることに気づかせてくれたお話です。

どうぞ最後までお付き合いくださいませ。

 

【目 次】

 

 

風立ちぬ

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いろいろな人がいる

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私たちは日ごろ、多くの人たちと接しながら生活しています。

それは家族や親戚、近所の人、会社の上司や部下、学校の先生やクラスメイトなど、老若男女を問いません。

その人たちの中には、気の合う人もいれば、そうでない人もいます。

例え同じ人間でも、考え方や生き方、生活ぶりなどが全く同じという人は、ほぼいないでしょう。

 

それは病気や怪我も同じです。

もちろん、健康で病気や怪我もなく一生を終えられることができれば一番ですが、なかなかそういう訳にもいかないのが現実です。

 

いくら健康な人であっても、いつなんどき何が起こるかわかりません。

ある日突然段差につまずいて、とっさに手をついたら腕を骨折、ということも十分あり得ます。

また年齢を重ねると、誰しもが早かれ遅かれ腰や関節に痛みが走るようになるでしょう。

それは病気であっても同じことです。

そういう意味では、私たちはみな身体のあちこちに起こっている「何か」とうまく折り合いをつけていきながら生活していく必要があるのかもしれません。

社会的弱者どうこうという話ではなく。

 

キンモクセイが香る駅のホームで

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私がかつて九州に赴任していたときのこと、病院は自宅から少し遠いところにありました。

汽車(電車ではなく汽車!)で4駅、乗り換えて1駅。

都会のように1時間に何本もあるわけではないので乗り換えで1時間弱待つこともあり、行って帰ってくるだけで疲れ果てていました。

当時、車も持っていましたが、一人暮らしでうつ状態の私にとっては厳しいものがありました。

車で通院すれば片道20分くらいで済むのですが。

 

うつ病と診断されて間もなく1年という頃の2013年10月のある日、私は2週間に一度の精神科への診察日でした。

診察を終えて、いつものように駅までとぼとぼと向かいました。

無人駅の改札を抜けると、ホームの島が二つ。

すぐ手前に1番ホーム、陸橋を隔てて向かいに2番ホームがあります。

私は2番ホームに行くために陸橋へ向かっていました。

 

すると、80歳代くらいのおばあちゃんがひとり、手すりを両手で持ちながら一段ずつゆっくりと陸橋の階段を上っているのが見えました。

秋の風が心地よく吹く昼間の無人駅には、私とそのおばあちゃんの二人だけ。

私は陸橋の階段で追いつきました。

素知らぬ顔で横を素通りすることも十分できたのですが、どこかそうするのがはばかられて、気づいたときには、おばあちゃんに「大丈夫ですか?荷物、持ちましょうか?」と声をかけていました。

おばあちゃんが持っていたのは、薬の入ったビニール袋だけで「大荷物」という訳ではなかったのですが、手首に袋をぶら下げながら両手で手すりを持って階段を上っている姿を見ると、そう声をかけたくなったのです。

 

丸い背中のおばあちゃんはこちらを向いて、「よかよか(いいよいいよ)、ありがとうね」と笑って返してくれました。

私はそれでも「あ、そうですか」と言って過ぎ去ることはどうしてもできませんでした。

荷物も持ってあげられない、手助けさえもできないのに…。

私はただ、おばあちゃんが階段を上るペースに合わせて横を歩くことしかできませんでした。

すると、おばあちゃんは「あんたは、福祉関係の仕事でもしとるとですか?」と言いました。

私は当時休職していたため、働くことはおろか、仕事も福祉関係とは無縁でした。

おばあちゃんにそう言われたとき、一瞬疑問符が浮かびましたが、しばらくして理解できました。

ペースを合わせて一緒に階段を上ったことが、おばあちゃんの心に響いたのだと。

 

陸橋の階段を下りきり、2番ホームに着きました。

汽車の到着まで、まだあと15分くらい。

吹きさらしの駅のベンチに、二人で腰かけて、汽車が来るまでおしゃべりをしました。

青空にいくつかの筋状の雲、時折吹く穏やかな風がホームに植わったキンモクセイの花の香りを私たちに運んできます。

おばあちゃんはとても可愛らしく、嬉しそうに私に話してくれました。

私は聞き役で「うんうん」と頷くくらいしかできなかったのですが、それでもなお、嬉しそうに話すその姿を見て、私も嬉しくなりました。

 

汽車が到着し、別々の車両に乗りました。

別れ際、おばあちゃんが私に「ありがとうね。気ぃつけて帰らんばよ(気をつけて帰ってくださいね)」と言ってくれました。

そんなことを言ってくれるとは思っていませんでした。

私もとっさに「ありがとうございます。そちらこそ、お気をつけて」と返していました。

 

おばあちゃんと離れ、汽車の中で温かさと幸せを感じました。

そして何より、嬉しい気持ちになったのです。

どうして私まで嬉しい気持ちになるのだろう。

別によいことをしようとしてやった訳ではなく、助けを求められた訳でもない。

ただ、階段を上るのが大変そうな人が目の前にいたから、半ば無意識のうちに声をかけていただけ。

 

おばあちゃんがお礼を言ってくれたとき、なぜ私は「どういたしまして」ではなく「ありがとうございます」と言ったのだろう。

それはきっと、おばあちゃんが嬉しそうにしてくれていたからかな。

だから私も、別れ際におばあちゃんに「ありがとうございます」と言ったのかな。

 

よく聞く「ありがとうの連鎖」ってこういうことなのだろうと、私はそのとき身をもって体感したのです。

 

友人からの手紙

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私がうつ病で会社を休むようになってから、高校のころからの友人と「文通」をするようになりました。

その友人は筆まめで、いつも便箋5枚くらいの手紙を書いて送ってくれました。

そして、私もそれくらいの分量の返事を書くのです。

 

内容は近況報告がほとんどなのですが、最近読んだ本や言葉を紹介しあったりしていました。

あるとき、友人が私に教えてくれた言葉があります。

それは、コピーライターの糸井重里さんの言葉でした。

理解しあうことはできなくても

大切にしあうことはできる

この言葉を友人の手紙で知ったのは、駅でおばあちゃんに出会う1週間ほど前のことでした。

 

寄り添うことはできる

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糸井さんの言葉を私なりに応用すれば、後半部分は「寄り添うことはできる」なのかな、と感じています。

先ほどのおばあちゃんの足腰の痛みは、何となくは想像できるけれど、想像止まり。

骨折をしたことがない私にとって、その痛みや日々の不自由さは、いつまで経っても想像止まり。

どんな病気や怪我も、実際に経験してみなければ、そのつらさは完全には理解できないものです。

 

私は、うつ病から双極性障害と病名が変わりました。

私の家族からは、少しくらいはつらさの理解をしてもらえるかもしれません。

私自身も正直「もっと理解してほしい」と思うこともあります。

でもそれは難しい。

理解度は上げられても、決して100%理解することはできないのです。

当事者も周囲の人たちも双方がもどかしいけれど、それが現実なのです。

 

それなら、せめて寄り添うことくらいはできないか。

やろうと思えば、きっとできるはず。

「うんうん」とただ頷くだけでも構いません。

少しの理解を持って当事者に寄り添うことができれば、当事者も周囲の人たちもほんの少し優しい気持ちになれるのかもしれません。

 

あのとき出会ったおばあちゃん、今でも元気かなぁ。

 

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