双極性naoの「てにをは」

双極性障害のnaoが伝える、ことばの力と闘病の記録。

スポンサーリンク

【問題】「迷い」の説明が正しいものを次の選択肢から選べ

みずたまなおです。

こんにちは。

 

今回は、迷いと選択についてのお話です。

どうぞ最後までお付き合いくださいませ。

 

【目 次】

 

  

洗濯じゃぶじゃぶ

洗濯じゃぶじゃぶ

  • 小鳩くるみ
  • チルドレン・ミュージック
  • ¥250
  • provided courtesy of iTunes

 

設問1:次の選択肢から答えよ

f:id:nao_mizutama:20171019121502j:plain

あなたは今、何か悩んでいることはありませんか?

また、もしかしてそれは何かに対して迷っていることではないですか?

 

人生において、迷うことは誰もが経験することです。

誰でもきっと、大なり小なり迷いながら現在に至っているはずです。

例えば子供の頃、「300円までならお菓子を買ってあげる」と言われて、お菓子が並んだ陳列棚の前で目を輝かせながら「あれにしようか、あ!これもいいな」と迷った経験がある方も多いでしょう。

また例えば、高校を卒業してからの進路で迷った経験がある方も多いでしょう。

 

私たちは生まれて今日に至るまで、さまざまな場面で悩み迷い、何かひとつ自分なりの結論を出しているのです。

それは、「次の信号を右折するか直進するか」とか「今日の昼食はAランチにするかBランチにするか」という日常の1コマに過ぎない些細なものから、「進学するか就職するか」という人生を左右する大きなものまで、それは実に多種多様です。

 

些細なことであればその場で判断できるものの、重大なものになればなるほど深く考えた上で慎重に判断します。

私たちは、そういった判断や結論を何万何十万と繰り返し、現在の一人ひとりの姿があるのです。

 

それは衣食住や仕事、パートナーなども含まれます。

「なんでもいい」「誰でもいい」という訳にはいかないはずです。

そこには少なからずあなたの意思があって、いくつもの候補の中からひとつを選び出しているのです。

「消去法で最終的に残ったから」という理由でも同じです。

ひとつの結論がでる前には、複数の選択肢があったことに違いはありません。

 

親やきょうだい、先天的なこと、病気などはどうしようもないことだけれど、私たちは、目の前にある設問を選択肢の中から選ぶという作業を何度も何度も行っているのです。

 

設問2:復職するか退職するか選びなさい

f:id:nao_mizutama:20171019121635j:plain

私も同じく、これまでに数えきれないほどの意思決定をしてきました。

そこには常に複数の選択肢があり、常に何かひとつを選んできました。

私はよく考えてしまう(つまり優柔不断)タイプなので、すぐに「これっ!」と結論のでるものは少ない方だと思います。

それでも多少の時間がかかったとしても、最終的には結論を出して、選択肢の中からひとつを選んできました。

 

ただ、この記事を書いている2017年10月の時点で、私自身が深く考え悩み、結論が出せていないことがひとつあります。

 

双極性障害を抱える私は現在、仕事を休職しています。

その休職期間も残り3ヶ月を切り、今後どのような選択をすれば良いのか、考えても考えても全く結論が出ないのです。

体調は、こうしてブログを更新できるくらいはできますが、丸一日活動することはなかなか難しく、さらに些細なことがきっかけでイライラしたり、調子がガクンとおちたりと万全とは言えない状況です。

 

症状を安定させることが大前提ですが、その先のこと、つまり働くことについて、どうすれば私自身のためになるだろうかと考えています。

目先の仕事のことも大事ですが、やはり考えてしまうのは将来のこと(5年後10年後のこと)です。

 

どうせ働くなら長く勤められるところがいいし、少しでも病気に理解をしてくれている方がいい。

元の職場は、病気をいくらか理解してくれていて時短勤務の対応も可能とのこと。

ただ、いずれ配置転換で病気のことを全く知らない人ばかりのところに配属されるかもしれない。

同じ会社といえど、元の職場よりもさらに労働環境が悪化するかもしれない。

それならいっそ退職して、体調をしっかり整えて、アルバイトからでもいいから気持ちも新たに全く違う仕事を探した方がいいのかもしれない。

 

現状だけを考えれば、退職してしまう方が「あーだこーだ」と考えなくていいのかもしれません。

ただ長い目で見れば、少しためらってしまうのです。

 

今、私の目の前には「復職か退職か」という2つの選択肢があり、そこからそれぞれ派生し、結果として何十通りもの選択肢が広げられている状態です。

人生を左右する大きな選択なので、悩んだり迷ったりすることは仕方ないことなのかもしれませんが、いざその難問に直面すると右往左往してしまっている自分がいるのです。

過去にこのような記事を書いておきながら、お恥ずかしい限りではございますが。

 

<関連記事>

www.nao-mizutama.com

 

設問3:選択肢の有無を選択せよ

f:id:nao_mizutama:20171019122030j:plain

先の私の話のなかで、ふと感じたことがあります。

それは悩んだり迷ったりすることは、とても尊いことなのではないだろうか、と。

 

突き詰めていけば、最終的には自由とか権利とか、そういう次元の違う話になっていきそうなのでやめておきますが、「選ぶことができる」ということはイコール「それだけ豊かである」ということではないかと考えています。

例えば、子供に「300円で好きなお菓子を買っておいで」と言ったとしても、100円のお菓子が1種類しかなかったとしたら、子供には100円のお菓子を3つ買う以外の選択はありません

(「買わない」という選択肢もあるのかもしれませんが)

 

お菓子だけに限らず、衣料雑貨や日用品なども同じです。

複数あるものの中から自分に合ったものをひとつ選ぶ。

そこには、少なからず自分自身の意思が反映されているのではないでしょうか。

選択肢がないと、自分の意思表示もできません。

 

もし、あなたが親や親戚から、こう言われたらどんな気分になりますか?

「あなたは○○高校から□□大学に進学して、△△会社に就職しなさい。絶対にそうしなさい。絶対に!

私なら超絶うんざり。好きにやらせてくれよ!と言うでしょう。

 

そう思うと、私が抱えている肩の荷が少し軽くなる気がします。

深く悩んだり迷ったりできるということは、それだけ尊いこと。

ここまで書いても、今後の仕事のことが頭から離れません。

すぐに結論がでるはずもないのに、です。

 

まぁ、ときが来れば自ずと結論は出てくるでしょう。

それまで気長に構えて、ときどき考えてみることにします。

ベストでなくてもいいから、せめてベターな選択をしたいものです。

 

<関連記事> 

選択肢は多い方がいい!?

www.nao-mizutama.com

 

最後までご覧いただきありがとうございます。

はてブ、読者登録していただけると喜びます。

Twitterもやっています。お気軽にどうぞ!

twitter.com