双極性naoの「てにをは」

双極性障害のnaoが伝える、ことばの力と闘病の記録。

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すべての交通手段はその人の人間性を如実に写し出す

みずたまなおです。

こんにちは。

 

今回は、公共の場での行動についてのお話です。

どうぞ最後までお付き合いくださいませ。

 

 【目 次】

 

 

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家の外はもう公共の場

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私たちの周りには実にたくさんの交通手段があり、それらを利用することで日本中、世界中のどこへでも行くことが可能です。

それらは私たちに不可欠なものであり、同時に生活を豊かにしてくれていると言っても間違いではないでしょう。

 

では「交通手段」と聞いて、あなたは何を思い浮かべますか?

それはきっと鉄道やバス、飛行機や自動車といった、私たちにとってより身近な乗り物なのではないでしょうか。

 

交通手段にはもっとたくさんの種類があります。

フェリー、タクシー、モノレール、ケーブルカーなど公共交通機関と言われるものや、徒歩や自転車といった身近にありすぎて見落としてしまいそうになるものも交通手段に含まれます。

 

実際にはもっとたくさんの種類がありますが、ここに挙げたものだけでも10種類はあります。

これほどまでに多くの種類があり、私たちはそれらの利便性を享受しています。

そして、それらを利用することで通勤・通学をしたり、遊びに行ったりすることができるのです。

 

人は移動するとき、必ず何らかの交通手段を利用します。

それは、近かろうが遠かろうが同じです。

目的地まで徒歩で行っても、飛行機で行っても交通手段を利用していることに変わりありません。

(徒歩は「移動手段」と言う方が適切かもしれませんが)

そして、私たちは例えどんな交通手段を利用したとしても必ず不特定多数の人がいる場所、つまり必ず公共の場に身を置くことになるのです。

 

公共交通機関といえば鉄道やバスなどですが、自動車や自転車、徒歩でさえ道路という公共の場を借りて移動しているということを忘れてはなりません。

 

道路は公共の場

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「公共の場所につき、喫煙・携帯電話での通話はご遠慮ください」という趣旨の貼り紙やアナウンスを、誰もが一度や二度は見たり聞いたりしたことはあるでしょう。

その場所は役所や図書館といった文字通りの「公共の場所」であったり、バスや鉄道の車内・ホームなどといった不特定多数の人が往来する場所であったりとさまざまです。

バスや鉄道などは「公共交通機関」とまとめられることも多いため、私たちの公共意識は必然的に高くなっているのではないかと考えています。

 

では自動車や自転車、徒歩はどうでしょうか。

これらは道路を通行します。

バスも同じく道路を通行します。

果たして、バスの乗員・乗客だけが公共の場にいると考えることができるでしょうか?

 

バスは公共交通機関にあたり、その車内は公共の場として考えられます。

しかし自動車は、公共の場として考えられづらい。

それは、自動車が個人の所有物になっているからです。

そのとき所有者の公共意識は全くないか、ほとんどないという場合が多いのではないでしょうか。

私道ならともかく、ほとんどの場合、自動車は公道を通行します。

私たちは、道路が「公共の場」であることを忘れてはなりません。

 

「少しだけなら」はない!

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道路上では、毎日多くの交通事故が発生しています。

交通事故の発生件数よりも、交通事故になる一歩手前の状況、いわゆる「ヒヤリハット」は実際の交通事故の何十倍とも言われています。

その状況も原因もさまざまで、交通ルールを守っていても事故に巻き込まれることでさえあります。

ましてや自動車や自転車の危険運転などもってのほかです。

 

自動車や自転車、徒歩では、特に公共意識が薄いために、自分本意になりがちです。

自動車であれば「法定速度が50km/hだけど道路が空いているから70km/hくらい出そう」とか「止まれの標識があるけど、別に止まらなくてもいいだろう」

自転車であれば「かっぱを着るのが面倒だから傘差し運転しよう」とか「イヤホンで音楽を聴きながら運転しよう」

徒歩であれば「信号が赤だけど車が来てないから渡ろう」とか「誰も見ていないからスマホ操作しながら歩いてもいいだろう」

このように、「少しなら大丈夫」とか「みんなやっているから」「自分ひとりくらい大丈夫」というように、公共の場に対する意識が低いことで気がゆるみ、自分本意になっているのではないでしょうか。

 

一旦停止で考えてみませんか?

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道路や公共交通機関は公共の場だからこそ、一定のルールが定められています。

多くの人が守っているからこそ、守っていない人は目につきます。

車内で大声で通話する人、列に割り込んでくる人、満員なのに優先席から移動しようとしない人、すぐクラクションを鳴らす人、信号無視する人、歩きスマホをする人などなど。

具体的に例を挙げればもっとたくさんあるでしょう。

ルールを守るつもりがないのか知らないのかはわかりませんが、外に出れば公の場です。

「自分ひとりくらいなら」とか「みんなやっているから」というのは理由になりません。

それはただ無知なだけか、気の緩みや慢心です。

 

繰り返しになりますが、ルールは多くの人が守っているからこそ、守っていない人は余計目立ちます。

目立つということは、よくないことを周りの多くの人に見られているのです。

周囲の人たちは、その人の行動をどう感じるか…。

それでよしとするか否かの判断は個々人に委ねます。

ちなみに私は、哀れみのまなざしを向けます。

 

もしかしたら何気なくやってしまっていることもあるかもしれません。

でも、もうそれは過去のこと。

現在のことを考えましょう。

 

一歩立ち止まって「自分は大丈夫かな?」と考えることができれば、気持ちにほんの少し余裕ができるかもしれません。

それが結果的に、公共の場での身の置き方に繋がるのかもしれません。

 

 

最後までご覧いただきありがとうございます。

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