双極性naoの「てにをは」

双極性障害のnaoが伝える、ことばの力と闘病の記録。

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普通とは?~少数派の価値観は多数派によって矯正される~

みずたまなおです。

こんにちは。

 

今回は、「普通」という言葉についてのお話です。

どうぞ最後までお付き合いくださいませ。

 

【目 次】

 

 

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「普通」とは?

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「普通」という言葉は、私たちの生活にとてもよく溶け込んでいます。

それは、あまりに溶け込みすぎていて、使っている感覚すらないかもしれません。

とても便利な言葉ですよね。

 

私が文章を書くときには、「一般的」という言葉と並んで極力使わないようにしています。

ただ、話し言葉の場合、無意識に使っているかもしれません。

 

でも、なぜ私が極力使いたくないか。

それは、これほどまでに曖昧な表現はないと考えるからです。

と同時に、受け手にとってあまり良い受け止め方はされないのではないかと考えています。

 

あなたが友達に、話しかけるとします。

「今日のテストどうだった?」

「普通。」

 

この答えに、あなたはどのような印象を抱きますか?

特別悪い印象ではないかもしれませんが、特別良い印象も持たないのではないでしょうか。

まさに普通です。

また、あなたが抱く印象を分解してみると、「曖昧な答えだな」という感情も含まれているはずです。

 

こんなにも曖昧に感じてしまう理由はただひとつ、一人ひとりの価値観のものさしが違うからに他なりません。

あなたの普通と、友達の普通のそれぞれの尺度が違うのです。

 

あなたにとっては、テストの出来映えが70点で「普通」と思っていても、友達にとっては90点が「普通」かもしれません。

「普通」という言葉はそれほど抽象的なのです。

 

一億総中流の時代

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かつて日本は、一億総中流といわれる時代がありました。

それは「普通の暮らし」を追い求める時代でもありました。

 

その意識は1960年代の高度経済成長の中で国民全体に広がりを見せ、1970年代までに国民意識としての「一億総中流社会」が完成されたと考えられています。

マイホームや自家用車、家電製品などがローンで購入できるようになり、物質的な豊かさを多くの人々が受けられるようになった時代です。

しかし、1990年代にバブルが崩壊して以降、非正規雇用が拡大し、成果主義や能力主義が導入されるようになると、国民の間で格差が拡大します。

2008年のリーマンショックで大量の派遣社員が職を失い、年越し派遣村が設置されてもなお、自身の暮らしを上中下の「中」とする国民が約9割にのぼるという結果が出ています。(内閣府「国民生活に関する世論調査」)

<参考:一億総中流 - Wikipedia

 

2008年以降、所得格差や労働格差などが進んでいたし、2017年の時点で全国47都道府県すべてで有効求人倍率が1倍を上回っていたとしても、格差が縮まったとは到底思えないのです。

 

そして、暮らしを上中下で考えたとき、おそらく多くの人が「中=普通」と答えるでしょう。

「中が9割」とありましたが、中の守備範囲は非常に広いのだと、私は考えます。

「上というほど特別豊かではない」「下というほど特別貧しくもない」という消去法の末の「中」の選択なのだろうと推察されます。

言い換えれば「どちらでもない」、つまり「普通」だということです。

 

それは個人によって考え方が異なるものです。

そのため、何をもって暮らしぶりが中だと言えるのかも異なります。

 

次の2つを例に挙げてみます。

  1. パートで週20時間働いている場合、収入は多くはないけれど、特に贅沢もせず自分の時間をゆったりと過ごす。
  2. 正社員で残業は月40時間以上、収入はそこそこあるけれど、自分の時間がなかなかとれない。

 

収入面や労働時間、生活環境など、それぞれ大きく異なります。

しかし、いずれの場合も本人が「上というほど豊かではない」「下というほど貧しくもない」という理由で「中(普通)」を選んだ場合、選んだ答えは同じでも、実質的な違いは明らかです。

仮に、2の人が1の人の生活をするようになったら、もしかしたら「下」を選択するかもしれません。

それはつまり、一人ひとりの価値観のものさしが違うことで生じるズレなのです。

 

生活に身近な「普通」

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では、私たちに身近な「普通」について考えてみます。

 

私たちはよく、社会に出たら働くものだと考えられています。

労働の対価として賃金を得て、生活します。

お金がなければ生活は成り立ちません。

でも、それだけがすべてでしょうか?

中には、働かなくても生活していけるだけの資産がある人もいます。

また中には、心身の障害などで学校を出ても働けない人もいます。

 

ジェンダーの話になりますが、結婚について。

結婚して子供を授かり育てることだけがすべてでしょうか。

「結婚しない」という選択肢をとる人も増えてきました。

また、結婚しても「子供をつくらない」という人も増えてきています。

しかし、周囲から「結婚しないのか」とか、結婚すれば「子供はまだか」と言われることが多いということも根強く残っています。

 

これらどちらにも言えることは、就職・結婚する人が多数派、つまり「普通」だと考えられているからです。

少数派は、多数派の考える「普通」を押し付けられるのです。

 

一旦就職しても、病気や怪我で退職を余儀なくされ、自身のキャリアに空白期間ができてしまうこともあります。

何らかの理由で一度も働けず、年齢を重ねてしまうこともあります。

そのことで、履歴書の中身がスカスカになってしまうこともあります。

でも多数派から見れば、それは「普通ではない」と映ってしまうのです。

そして「普通ではない」と判断されたとき、多数派はより優位に立とうとするのです。

 

結婚についても同じで、結婚している多数派が、結婚していない少数派より上に考えられることもあります。

結婚している人から「まだ結婚していないの?」という質問の裏には、結婚していないことへの哀れみや優越感というような、少数派と比較して自身を肯定、優位に立とうとしていることが往々にしてあるのです。

結婚して子供を授かり育てることが、その人にとって本当に望む人生なのか。

LGBTIといわれる性的少数者なら、「結婚しないの?」という質問は、された側にとってみれば、表面上は明るく振る舞っていても、心の奥底では傷ついてしまっているかもしれません。(一部地域では事実上の同性婚が認められています)

 

いずれの場合も、多数派がそれぞれの「普通」というものさしで少数派を測ってしまうがための軋轢です。

 

おわりに

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「普通」というものの考え方は、人それぞれで異なり、必然です。

ただ、自身のそれを他人に押し付けるのは慎重になるべきだと、私は考えます。

「押し付けてはいけない」とあえてしていないのは、私も無意識にしてしまっていると感じるからです。

書いておきながら、私自身ができていないようでは説得力がありませんので…。

 

私が考えている普通の生活と、あなたが考えている普通の生活は、おそらく異なるでしょう。

あなたの考える普通生活を、「私の普通と違うから、あなたは普通ではない!」と私に言われるとどうですか?

 

「普通」という言葉はとても曖昧で、多様です。

互いに認め合って、一人ひとりの価値観を大切にできるようになれば、生きやすい社会になるのだと思います。

 

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