双極性naoの「てにをは」

双極性障害のnaoが伝える、ことばの力と闘病の記録。

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Never forget 3.11~それに比べて私は前に進んでいるのか?~

【注意】この記事には東日本大震災の日のことについて触れています。ご気分が悪くなる恐れのある方の閲覧はお止めいただくか、自己責任の上での閲覧をお願い致します。

 

みずたまなおです。

こんにちは。

 

今回は、私の「あの日」と現在のギャップのお話です。

どうぞ最後までお付き合いくださいませ。

 

【目 次】

 

 

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拝啓 読者のみなさま

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最初の診断はうつ病だったのですが、まさか私が双極性障害になるとは思っていませんでした。

きっと、患者さんの誰しもが一度は同じことを考えたことでしょう。

 

病気によって、職やお金、人間関係など、実にたくさんのものを失いました。

病気になって得られたことももちろんあるけれど、それ以上に失った代償は大きすぎました。

 

「病気になってよかった」なんて微塵も思っていません。

けれど今、私は病気と向き合い、少しでも前に進めるように、毎日を過ごしています。

それはきれい事ではなく、決して私ひとりの力ではありません。

 

それは、家族や友人、病院の先生、このブログの読者の方々、SNSのフォロワーさんたち…。

どれが欠けても、今の私はいないのです。

この場を借りて御礼申し上げます。

 

2011年3月11日 私は…

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その日、私は働いていました。

まだ病気になる前で、なに不自由なく日々過ごしていました。

 

新卒であるスーパーに入社して、もうすぐ1年が経とうとしていました。

仕事は、少しずつできることが増えていくことに喜びを感じていました。

 

職場での人間関係もよく、仕事終わりには年齢性別関係なく飲みに行ったり、カラオケに行ったりしていました。

休日にはドライブに行ったり、映画館に行ったりととても楽しく過ごしていたことを覚えています。

 

社会人になってもうすぐ1年、経済的にも自立し、私は「誰の力も借りず、ひとりの力で生きている」と思っていました。

 

あの日のことは、今でもはっきりと覚えています。

それは金曜日でした。

年上の同僚から「家で焼き肉をするから来ないか?」と誘われていました。

 

私は、いつも通り仕事をしていました。

その日の仕事のモチベーションは焼き肉でした。

 

15時を過ぎたころ、ある従業員からこう聞きました。

「東北がすごいことになっている」と。

 

「すごいことって、何なのだろう」と思いつつ、西日本に住んでいる私にとっては、どこか異国のニュースのように感じられました。

ただ、お客さんはどこかザワザワしています。

 

職場にはテレビもないし、携帯で見るほどの時間の余裕もない。

そして何より、私には焼き肉が待っていたのです。

早く帰らねば。

 

その日の仕事を終えて、急いで帰宅、テレビをつけることなく家を出て、焼き肉に誘ってくれた同僚の家に向かいました。

 

19時半ごろ、同僚の家にお邪魔して、ついているテレビを見ました。

速く大きくうねるように流される濁流、それに乗って流される倒木、2階部分だけが顔を出し漂流している民家。

それはまるで映画のようで、にわかには現実のことと捉えることができませんでした。

 

しばらく経ち、私はようやく事態を飲み込むことができました。

「これはとんでもないことになっている」

この言葉しか感情はなく、ただただ放心状態でテレビ画面を食い入るように観ることしかできませんでした。

焼き肉のことなど、もうどうでもよくなっていたのです。

 

私は翌日も出勤でした。

開店と同時に、多くのお客さんがなだれ込んできて、それぞれが目的の場所まで小走りでやって来ます。

そして、あるものを大量に買い物カゴやカートに積んでレジへ向かっていきます。

あるもの…それは、水、米、缶詰めです。

お客さんは、それを東日本に住む家族などに宅配便で送っていくのです。

 

私も何日にもわたって、何人ものお客さんに「ペットボトルの水はないか」と尋ねられました。

メーカーの工場や物流がストップしてしまい、次回の入荷の目処は立ちません。

終日間にもわたり、他の商品は売り場の棚にぎっしりならんでいるのに、それらの商品のところだけがきれいに無くなっている状況は、見ていてとても異様な感じがしました。

 

あの日が強烈すぎたが故

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2011年3月11日以降、1ヶ月や半年など、節目のたびに報道されています。

 

2012年3月11日、私は転勤しましたが、この日も出勤でした。

14時40分過ぎに店長の館内放送が入りました。

「2011年3月11日の東日本大震災から本日で1年です。震災で犠牲になられた方々を追悼し御霊を慰め、被災された方々のお見舞いと、一日も早い復興を祈りするため、14時46分に全員で黙祷を捧げましょう。お客様もどうかご協力くださいませ。」

 

多くのお客さんも協力してくれたことに、私はとても感動しました。

もちろん私も、犠牲になられた方々の追悼と被災地の復興を祈って、ただただ純粋な気持ちで黙祷をしました。

 

それから8ヶ月が過ぎた2012年11月、私はうつ病になりました。

会社を休職し、療養を余儀なくされました。

いつもマイナスなことばかり考えていました。

テレビもラジオもスマホも、情報源は全て遮断していた時期もありました。

 

2013年3月に入り、震災の関連番組が放送されていました。

3月11日、テレビをつけると、どの放送局でも追悼式の中継や関連番組を放送していました。

そして14時46分、私は黙祷をしました。

昨年も同じように黙祷をしたのに、なにか違う気分になりました。

犠牲になられた方々のことや、被災された方々のこと、被災地の復興を祈って黙祷をしたはずなのに、なにかが違うのです。

 

黙祷のあと、私はすぐに気がつきました。

2011年3月11日の私と、現在の私を比べてしまっていることに。

 

あの日、私は何不自由なく過ごしていた。

経済的にも自立していたし、交友関係だって盛んだった。

それなのに、今の自分は何だ?

いったい何をしているのか!

 

以来、この感情は現在でも続いています。

年月が進めば進むほどその苦しさは増すばかり。

それは、被災地が着実に元の姿に戻っていき、被災者は仮設住宅から、かさ上げされた住宅へと移り、元の生活に戻っているから。

 

被災地は前に進んでいる。

それにひきかえ、今の自分はどうか?

全然前に進んでいないじゃないか!

 

という気持ちが、被災地への思いの邪魔をするのです。

 

私が記憶している事象は、阪神淡路大震災も、新潟中越地震も、地下鉄サリン事件も、福知山線脱線事故も、笹子トンネル落盤事故も御嶽山の噴火も…

犠牲になられた方々への思いは同じのはずなのに、東日本大震災への思いは私にとってとても複雑です。

 

被災地の復興はまだまだ道半ば、と報道されています。

私が被災地のためにできる具体的なことは、残念ながら思い浮かびません。

ただ、復興を願う気持ちは持ち続けています。

 

2011年3月11日の私には戻ることはできないけれど、病気と向き合い続け、少しでも前に進んでいられるように、焦らず着実に歩んでいこうと思います。

 

 

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