双極性naoの「てにをは」

双極性障害のnaoが伝える、ことばの力と闘病の記録。

スポンサーリンク

炎のストッパーが残した功績と遺した信条

みずたまなおです。

こんにちは。

 

今回は、ある元プロ野球選手が大切にしていた言葉についてのお話です。

どうぞ最後までお付き合いくださいませ。

 

〈目 次〉

 

炎のストッパー・津田恒美

f:id:nao_mizutama:20170908093414j:plain

元プロ野球選手は投手としてチームに大きな功績を残したものの、病によってわずか32歳でこの世を去りました。

それが、元広島東洋カープ・津田恒美投手。

 

津田投手は主に抑え投手(ストッパー)として活躍。

1982年に入団しますが、けがに苦しみ長期間のリハビリ生活をしていました。

ところが、1985年に復活を果たし、1986年にはリーグ優勝に大きく貢献しました。

 

普段は温厚で気の弱い性格ながら、マウンドに上がると一転、普段の性格とは全くの別人のように気迫溢れる投球をすることから「炎のストッパー」と呼ばれました。

 

抑え投手は、チームが僅差で勝っているときに登板し、試合終了までを投げるという、とても大切なポジション。

彼はいつも投球練習場で出番までの間、自分でボールに書いた自身の信条を見続けて集中力を高めていたのです。

 

弱気は最大の敵

 

彼はいつもマウンドに行くまでの間、この言葉を言い聞かせていたのです。

 

最後の登板と闘病

f:id:nao_mizutama:20170908093611j:plain

津田投手の最後の登板は、1991年4月でした。

 

それまで長く頭痛が続く日が続いていたようですが、あるとき病院を受診。

病名は脳腫瘍、脳のガンです。

 

彼はこのときまだ30歳。

それからしばらく球団に籍を置きながら、療養生活を続けましたが1991年の秋には引退。

 

その後、一時的によくなることもあったものの、取り出せない場所にできた脳腫瘍は悪化の一途をたどり、1993年7月に32歳という短い生涯を終えたのでした。

 

津田投手が教えてくれたこと

f:id:nao_mizutama:20170908093748j:plain

津田投手がプロで活躍されていた頃は私はまだ幼かったので、リアルタイムでは知らなかったのですが、2000年に放送されたドラマ『最後のストライク~炎のストッパー津田恒美・愛と死を見つめた直球人生』(原作:津田晃代)を見て深く知るようになりました。

 

津田投手がいつも登板前に見ていた言葉、弱気は最大の敵

 

どのような経緯や背景からこの言葉を信条として選んだのかはわかりません。

ただ、私なりの解釈をするならば、「本当の敵は自分の中にある。それに勝つことができれば自ずと結果はついてくる」です。

この言葉は、入試や就職試験などのここ一番のときに、目を閉じて黙想しています。

 

弱気は最大の敵

この言葉をあなたはどのように感じ、どのように解釈しますか?

 

また、津田恒美投手が亡くなって20年以上経ちます。

それでも今でも、地元山口では球場に津田恒美メモリアルスタジアムという名前がついていたり、命日には少年野球の交流大会が開かれたりしているようです。

改めて多くの人に愛された、中身の濃い32年間だったのだとしみじみと感じます。

 

 この曲はテレビドラマ化されたときの主題歌です。

君に

君に

  • 松山千春
  • J-Pop
  • ¥250
  • provided courtesy of iTunes

 

今回も最後までご覧いただきありがとうございました。

こうして読んでくださっている方の元に、何かひとつでも届けることができれば嬉しいです。

 

Twitterもやっています。お気軽にどうぞ!

twitter.com

 

もう一度、投げたかった―炎のストッパー津田恒美最後の闘い (幻冬舎文庫)

もう一度、投げたかった―炎のストッパー津田恒美最後の闘い (幻冬舎文庫)